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 私は遠州奥浜名湖地域・旧引佐郡に生まれ育ちましたが、同郡は2005年7月、平成の大合併によって浜松市に吸収される事になりました。
現在は、北は南アルプス南部・長野県境から、南は遠州灘・浜名湖東岸までの広汎な市域を誇る、政令指定都市・浜松市の一市民です。
さらに、2024年からは行政区も三区制にスリム化したので、段々と地域の分け目がザックリしてきたようにも感じています。
なぜかと言いますと、合併以前のような、12の市町が地理的に境を作って特色を表した様子が見えないからです。

しかしながらそれは、悪いことばかりではありません。合併以前は別の市町であった区域の住民とも、同じ浜松という事で、容易に交流する機会が持てるようになったのも事実なのですから。
今、急速に普及している通信・発信アイテムと並行する形で、人と人との対面の交流と拠点づくり(コミュニティ)を推進するべきだと考えます。

私自身、旧引佐郡民の時より、居住域のみに行動範囲を限定する事を、良しとしませんでした。
年齢的に若かったというのもあるのですが、合併前の市町ー主に旧水窪町・春野町・佐久間町などーの、北遠州地域にも足を運び、地元住民の方々と接する機会を持ったりしたものです。
今では、SNSを活用しての発信や交流・グループ作り等も容易になりました。ただ、これらを使用した時点で目的を果たした気になるのは、いかがなものかと思います。
あくまでも、通信機器は道具であることを忘れずに、スマホやPCを駆使しつつ、直接の対話と交流を軸にコミュニティを創出していく。これが本当の地域づくりというものなのです。
そうした地道な活動は、行政が上から先頭を切って行う事ではありません。
市民のひとりひとりが、年齢や職業に関係なく、横並びの対等な立場にポジションを取り、各々の意志と人との関わりの中から始まるのです。
一個人としての良識と地域への愛着。そして、貢献意識のある市民同士が繋がって相互に学び、高め合っていく姿勢が大切です。

始めは小さな輪であっても、いずれは大きな機動力に発展し、「浜松市」という広汎な市域を取りこぼしなく網羅していく、ひとつの大きな和(わ)となっていく事でしょう。
もちろん、このように底辺からの積み重ねを継続するためには、果てしなく膨大な労力を必要とするのも事実ですし、個人の意志や、一部のコミュニティーだけでは到底無理でしょう。
そこで登場するのが、より強固で効果的な地域づくりの原動力となる、産業や大学などの専門的なノウハウと研究成果の提供ープラス行政のバックアップ。
市民・産業と大学・行政。この三者が実質的に交流するシステムとして連携することが、最終的に目的を果たす事につながるのです。

しかし、いくら大きな力が必要とされるとしても、あくまでそれは、市政目標の実現を助ける手段に過ぎません。
どんな事でも、最初は「人」が始めるのであり、最後もまた「人」に終わるという事をー「人間」として生まれたのならばー忘れてはならないと思います。